2019年9月にオハイオに移住した主婦の成長日記

思っていた海外移住よりももう少し細かい所がしんどい

能天気な義家族に、どうも腹を立ててしまう

こんにちは、今日も不満を書き連ねます。ブログを書き始めてから移住後の精神が一番安定していると自分でも思うので、精神状態を安定を図るためにも今日は愚痴です。お目汚しすみません。

 

新型コロナウィルスのニュースが出てからもうすぐ2ヶ月が経過しようとしていて、同時に、母がオハイオに遊びにくる飛行機チケットを購入してからも、もうすぐ2ヶ月です。

3月初旬に英語もろくに話せない母一人で私に会うために、どんなところにお嫁にいったのか見るために、新しい一員として迎えてくれた旦那さんの家族が住んでいる場所を見るために、オハイオに来るはずでした。まだキャンセルはしていないものの、これだけ広がりつつあること、米国韓国間や米国イタリア間のフライトのキャンセルや変更を航空会社が対応をしていることを考えると3月の渡米は諦めようと母と話しをしています。

 

すぐに会える距離でもないし、すぐに会える手立てを整えられるわけでもない。いずれ起こることとはわかっていても、緊急時に家族のそばにいられないことがこれだけしんどいものとは想像もしてなかったです。自分の選んだ道だから受け止めきれるかは別問題だし、一生解決しない問題だろうなと思ってます。

それぞれ国が発表して、フライトもほぼ全面キャンセルならもう仕方ないどうしようもないと思えるのかもしれない。

 

会える会えないの問題よりも、そもそも日常的に電車を使い、多くの人と接しないといけない仕事をしているし、人間とウイルスが世界に存在する以上は感染のリスクは当然あります。80代の高齢者にはまだほど遠いからひとまず母の年齢のリスクは下がるけれど、心配なことには変わりない。

母の心配は書きだしたらキリがない、それは娘に対する母からの心配も同じでお互いもどかしい気持ちを抱えながら生活をしていくんだと思います。

 

 

今日この記事を書こうと思ったのは、あまりにも義家族のデリカシーのなさというか、どうにも腹が立って仕方ないから。結婚、加えて日本から遠く離れたオハイオに移住を最終的に選択はしたのは私自身だからそんなもんなのかもしれない。

ただ大丈夫か、マスクの不足はしていないのか、クルーズ船が泊まっている横浜の近くで仕事はあるのか、せめて心配する一言は出てこないのだろうか。自分の息子が日本から帰ってきて目の届くところというか、すぐそばにいればその嫁の家族や、嫁の気持ちはあまり気にならないのかもしれない。

とてつもない悪口なのはわかっていても、なるべく義家族の前では笑顔でいようと心がけている自分が馬鹿らしくなってくる。新型コロナウィルスが話題になりはじめて、何度冗談を言われたかわからない。どんな内容だったかは忘れてしまったけど、「コロナにかかってないといいね!ハハ!」みたいなことを面と向かって言ってくる義弟妹。目の前にいる私は10月になる前からここオハイオに住み始めたというのにだ。

 

新型コロナウィルスで死亡者が増え始めてからは私はどんどん過敏になってきている。ニュースを見る様子がない義家族だから仕方ない、でもあまりにも世の中を気にしなさすぎではないのかと思う部分もある。コロナを口実に堂々と虐げられるアジア人が増えてきた、アジア以外の国に住んでいるというだけで安全が脅かされる人がいて、次は自分かもしれない、次は私のこどもかもしれないと心配しているアジア人が大勢いる。

どうやったらモールに連れて行くから一人でショッピングしてきていいよ、と嫁に言えるのだろうか?

 

最近じゃコロナの冗談を言われる度に、インフルエンザが流行する時期でもマスクはせずにいるアメリカ人に言われたくないよ、と反論するようにしてからは冗談の回数は減ったように感じます。そもそも手を拭くキッチンのタオルで、洗ったあとの食器を拭くお家の方たちに私がアジア人だから、日本人だからとウイルス呼ばわりされる筋合いはないのだ。

 

差別をしない人たちだと思っていたけれど、過ごす時間が増えるごとにああこの人たちは白人として生きてきたのだと考えさせられる瞬間が増えた。旦那さんがふと口にする「このお店ヒスパニックの人多かったねびっくりしたよ」という一言、深い意味はなくともそれだけ白人の人と接する機会しかないということ。無知は罪だとよく言ったものである。

 

旅行の経験もほぼ皆無、留学を始めとする長期の滞在もなし。この条件で日本国籍を持っている人以外の方と結婚して、移住をする人もいる。現地で生きていくには本当に強くならなくてはいけない。キャリアを捨て、母国を捨て、第二言語で生活することを決めるきっかけは愛かもしれないけど、愛やお金だけでは足りなくて、自分をアップグレードするスピードを上げないとここでは生きていけないんだと思う。

 

結婚は家族同士というのに、これじゃ旦那さんと、旦那さん家族と私が結婚したようなものじゃないかと嘆いてみる。これも私のさだめ?なんとかここから上昇していきたい。移住直後だった頃と、月々ホルモンバランスの乱れから精神が不安定になることが多く、上手く馴染めない、日本が恋しいとホームシックの割合が多かったのに、最近は第二段階に入り始めたのか不安定になるベクトルが変わってきたように感じる。

 

住めば都ということわざ通り、ぼろ屋もたまに猛烈に嫌になるけどどうにか慣れてきたししばらくは家探しをしなくても生きていけそう。持病の調子がいまいちのせいで、とてもこの国の法定速度で運転はできないから、潔く家の外で働くことも諦めた。タックスリターンの諸々が面倒くさいから、まだお金は稼がないでいてくれた方がひとまず楽だと旦那さんに言われてからは、在宅ワークすら調べることをしなくなった。開き直ったら気持ちは楽になってきたとは思う。

 

時間が経って、どうにか私なりの義家族との向き合い方を見つけられたらまた状況は変わってくるのかもしれない。いまは泥沼嫁姑問題が勃発するような関係ではないだけ、ありがたいと思った方がいいのかな。

 

私も含めて、みんなにいいことありますように、と願いを込めて記事をあげます。ここまで読んでくださりありがとうございます。それではまた明日。