2019年9月にオハイオに移住した主婦の成長日記

英語を喋り始めてやっと気付けたこと

英語喋らなくても気付くべきだと思う~24歳日々成長中です~

今日は連日誰かがどこかでぷち炎上しているTwitterを眺めながら、ひとり思うことをつらつらと書く日にします。

 

ブログを毎日書き始めて、50日が経過。作文や小論文が苦手で、日記を書くのもあまり好きじゃない、卒論は2万字のノルマがあってどう文字を増やすか悪戦苦闘していた私が1000文字を必ず超えているブログをこんなにも続けられていることに驚いている。文字を書くよりも人と会話をするほうが好きだと思っていたけど、今こうして継続できているのは自分の言いたいことを100%からは程遠い表現になる英語を毎日話しているからだと思う。

最近じゃ旦那さん曰く寝言が英語だったらしく、ちなみに"What the fuck?!"と絶叫していたそう。なんの夢を見ていたのかは思い出せないし、覚えている夢でWTFを言った覚えもない。

 

楽しい日常会話や、自分が事前にいくつか単語を調べて覚えておいた話題ならそれなりに英語でコミュニケーションをとれるけど、病院に関わることや持病に関わること、日本の政治や宗教的な話題になれば、途端に口数が減る。義弟にはカチンとくることを言われたら噛み付き返せるくらいにはなってきたけど、英語伸びたなぁと思う反面、目の前には大きな言語の壁がまだまだ立ちはだかる。

 

移住して5ヶ月経とうが英語力が驚異的なレベルになることはあり得ない。しばらくは自分の言いたいことを伝えられないもどかしさにつきまとわれるのかと思うとぞっとする。勉強次第ではあるとはいえ、生まれたときから聞き、喋ってきた日本語のレベルとは同じに並ぶことはない。

もどかしさは消えないものの、英語を喋るようになってから1つ自分で気を付けるように心がけていることがある。英語は私にとって、1年経とうが5年経とうが、10年経とうが、自分の母国語になることはない。文化的背景も違う言語でものを申すとき、これは言っても大丈夫なのかを考えるようにしている。当たり前のこととしてできている人もいる、もちろんそれはわかっている。

 

日本語で生活していた時は自分の口を盾にして生きてきたようなものだったので、相手からされた報復に、とぼろぼろに傷つけてしまったことが過去にある。褒められることではないけど、大学時代サークルの後輩からは怒らせたらやばい奴認識はされていたと思う。今でもその傷つけた元友達のことは気がかりだし、時々夢に出てきて仲直りをしているくらいには、これからもずっと私の中に残る後悔している出来事。

 

今は、よくも悪くも、英語を話すときには日本語と比べるとタイムラグが生じるおかげで、口から生まれてきたような状態にはならなくて済んでいる。このタイムラグが全くなくなった時がどうなるかが私の課題。単語ひとつをとっても、意味を取り違えている可能性だってある、日本人として日本語を使ってきたけど母国語だからという甘えと気付けない甘えがあったのだと思う。やさしい言葉を使ってこようとしなかった、一歩立ち止まって考えずに口から出た売り言葉に買い言葉で大切な人を何度も傷つけた。

英語を話し始めたおかげで、脳みそをよく使わずに発言することが減ってきたと自分では思う。当然極限レベルでイライラしていない、自分に余裕があるのが前提というまだまだなレベルではある。

そもそも違う言語に身を置く前に気付くべきことではあるのだろうけど、毎日会話をし、毎日のように口喧嘩や議論と似ているようでほぼ言い争いみたいな会話をしていた母と離れてしまったからこその、ひとつの成長だと褒めることにしておく。

 

つるんでいた友達から恋愛相談をうけることも多々あって、今考えると自分の正義を振りかざして意見を押し付けていたと思う。聞いてほしかっただけなのか、少なくとも私の毒舌なんちゃってアドバイスを楽しんでくれていたのか、できれば後者であってほしい。

元カレとの間に問題が生じて、友達と愚痴を言いながら相手を貶すこともたくさんしてきたし、それで笑ってくれている緩い友人関係が楽だった。今でもピタパンくんとか、初めての彼女以外、他の人を知らないのが不安でという謎発言をしていた元カレ2人についてはいまだにネタにはするけれど…

とにかく私は口が悪いと自負している。毒舌キャラを楽しんで演じることもある、丁寧に喋ろうとしてぼろが出ることもある。「口は禍の元」とはよく言ったものだ、額に書いて毎朝確認しておけばよかった過去の自分がいる。

 

 

日本語だと、対面での会話よりも画面上での会話の割合が多いここ最近。相手の頭の中を覗けるわけじゃないってことを念頭に置いてTwitterやインターネットでは発言をしたいよね、という主旨の記事を9日前には書いた。荒れるTwitterを見て、アメリカをぼろくそに言う友人とも微妙に言い難い人と会い、たぶん自分でまた自分を省みるタイミングが来たんだと思う。140字で、もしくは1つのツイートにぶら下げていく形で文字を連ねることもできるし、ブログだったら延々と書いていられるけど、何文字積もうが結局のところ自分から出てくる言葉は自分だけのもの、尻拭いだって自分ですべきなのだ。

 

そのうち「指は禍の元」って言われる時代もくるかね、なんて考えてみたりもする。

 

読んでくださってありがとうございます。明日はなにを書こうかな?