2019年9月にオハイオに移住した主婦の成長日記

有色人種のわたしと、白人の夫

 

この一連のツイートをした訳を今日は話したい。想像していた以上に多くの人の目にとめてもらったことに正直驚いているのだが、そもそもこれはわたしと、わたしの夫との間のできごとだというのをまず念頭に置いてもらえたらありがたい。

 

昨今のアジア系アメリカ人に対するヘイトクライムが増加しているアメリカで、8人もの「アジア人」の命が奪われる事件が起こりひどく動揺していた。逮捕の翌日にあった保安官による会見からは、(当然保安官自身がどんな心境で会見の場で話していたかは本人にしかわからないが)犯人を擁護するような発言が見受けられたことに憤りを感じていた。

Bad dayなら人を殺してもいいのか?8人ものアジア人を、店舗を狙っておいて人種差別が動機ではないと言うのか?コケにするのもいい加減にしてほしい、と思った。アジア人に生まれて人生を送るだけで他人から何かされるのではないかという恐怖に陥れられる理不尽さに悲しくなった。わざわざ一軒の家の中を覗き込んでくる人は周囲にはいないだろうけど、いつもよりずっとまだ明るい時間にブラインドを閉めた。少しでも自分が日本人であること、アジア人であることが今日、いまの時間に周りに知られることがないように。

 

差別に鈍感な、もしくは差別をするような「白人男性」ではないことを信じたくて保安官が話している動画を見て何を思うのか聞かせてほしいと夫にお願いした。結果としては失望した、といったらいいのだろうか。夫にはこの事件によって、この保安官の言葉によって静かにその人の内側に差別意識をしまっていた人物を刺激して、傷つけられるアジア人が増えるのではないかというわたしの恐怖が伝わらない。わたしに何かに巻き込まれるまで夫にはわからないのだと思い失望した、がっかりした。Thanks for watching the video and sharing what you thought. とだけ伝え、この件に関してはそこで話すことを止めあの一連のツイートに至った。

 

夫にBLM運動のように何か周囲に大きな働きかけをしてほしい、差別意識がある人間の意識を変えてほしいとは思っていない。そうではないのだ。

 

 

 

ツイートの翌日に何人かの意見を読んで、わたしはそもそも何をしたいんだろうと、夫の考え方を180度変えたいのか、と思い始めた。なぜこんなにも夫にがっかりしたのか、と。

 

昨年からコロナウィルスが世界中に広がった影響で、アジア人に対するヘイトクライムアメリカでは増加した。2人で食料品を買いにKrogerに行くだけで、日用品を買いにWalmartに行くだけでわたしはおびえていた。唾でも吐きかけられるんじゃないか、罵声を浴びせられるんじゃないか、例えばこう言われたら日本語で怒鳴り返してやろうと脳内で繰り返し考えていた時期もあった。アボカド見つけてきて!わたし牛乳取ってくるから!なんていう些細なスーパーでのやり取りができなかった。


ここまで過敏になっていたのは義実家で日頃から内輪ジョークとして差別的にわたしが受け取るような言葉を、わたしは実際に義理の姉から、義理の弟から言われてきたから。移住して4ヶ月経過してからコロナの流行だったにも関わらず、義姉からは「日本からウイルス持ってきてない?」、わたしがくしゃみや飲み物が気管に入りむせようものなら「コロナウィルスー!!」と言われた。夫から何か言われた時に冗談交じりでしょんぼりしながらわたしが Yes, sir.というと義姉は「アジア人のメイドだと思われるから外で言ったらだめよ」と笑いながら言った。
Call of Dutyというゲームが好きな義弟は、ゲームの中で日本軍と戦う描写があった際には、Sorry but you started.とわたしに言ってきた。この「But you started」とか「You lost」とかは頻繁に彼の口から出てくる。歴史は事実でも、それをわたしに言わなければいけない理由がわからなかった。

 

でも、この言葉が夫の目の前でわたしに投げつけられる間も、実家から2人の家に帰ってからあの発言はとても不愉快で悲しくなると伝えても、こういう家族だから、こういう姉弟だからと笑って夫には言われていた。ずいぶん素直にそのことばを飲み込んできたと自分で思う。

 

わたしたち夫婦にとっては、わたしにとっては、このアジア人8名の被害が、保安官の軽率に聞こえる言葉がきっかけだっただけ。

 

昨晩の夫とした会話で2度、彼の表情がハッとした瞬間があった。

 

「いつもそうやって、誰かが何かをわたしにしたら、何か言ってきたら、怒り狂ってぼこぼこにしてやるって言ってくれるけど、ただのアメリカンジョークだからって済まさない自信がある?わたしが差別されたって思ったってことをそもそも気付ける?」


「何が起ころうと、私たちが子供を持つなら子供たちはアジア系アメリカ人になる。どうしたって、差別のターゲットになる。そこで子供たちからお父さんは白人男性だからこの気持ちわかってもらえないよね、って思われる可能性だってある。差別されることに敏感になってほしい。」

 

これを伝えた時には、わたしには夫の顔色が変わったように見えた。そもそも彼自身がわたしに向けられた差別に気付けない、なんてことを考えてもいなかったのがわかった。わたし自身も夫はアジア人と結婚してるんだからそういうのに敏感なはず、と決めつけていたのだと思う。暴動を起こせ、義姉弟をどうにか黙らせろと頼んではいない、ただ、わたしがアジア人として日本人として傷付くことを知ってほしい、気が付いてほしいとお願いした。

 

 

どれくらい今回の話で夫の考えてくれるのかはわたしにはわからないが、今後2人が国際結婚をした夫婦として、それぞれ違う人種の親を持つ子供を持つ可能性のある夫婦として、理解を深める小さなきっかけにできたら嬉しい。

最近、家を探しています

こんにちは、みなさんお元気ですか。ブログをお休みしていた間にも足を運んでくださっていた方、ありがとうございます。なんとこの度、開設から一年経たないうちにアクセス数が1万を超えました!そりゃ月間PV2万といったブログと比較すれば屁みたいな数ですが…

書く気も内容も浮かばない日々を過ごしていても、覗いてもらえていたのが本当にありがたいです。誰かの何かになればと思って書き始めたのが少しは叶えられているのかなと。

 

さて、本日のテーマはですね、家探しにまつわる愚痴です。これからアメリカに移住する方、すでに住んでいて引越したい方が情報収集のためにこの記事を読まれているのであればおすすめしません。有益な内容にはならない予定です、すみません。

 

2019年10月に日本から送った大量の物・家具をこの家に搬入してから早1年以上が経過しました。初めて中に入った時には何となく小汚いせいでぞわぞわした家に住み始めてから、1年です。2020年5月には4日降り続いた大雨の影響で少しだけではあるものの、今まで経験したことがなかった床上浸水、ガレージの浸水。つい数週間前には、5月の浸水の影響なのかカラーボックスにまで侵出した壁との間のカビ。加えてベッドルームとバスルームの電気が何故か使えず、原因不明のまま約1時間後に電力復旧。

 

母と一緒に暮らしてきた場所も、夫婦で横須賀に一年ほど住んだ部屋も、綺麗すぎたんでしょう。今住んでいる家にどうしても慣れることができずオハイオでの暮らしはさらにハードモードです。

 

遅かれ早かれ、資金ができてタイミングが整うのであれば家を見つけようと夫婦で話していたのですがさすがにカビを発見した日から状況は一変。もう一刻も早く出ようと本格的に探し始めました。以前どこかの記事に書いたのですが、いま借りているお家は旦那さんの伯母夫婦が所有する家で、一階と二階別々の人が借りられるようになっているため二階には義弟が住んでいます。

シェアできる規模の家を購入した場合には、義弟と3人で一緒に住むことを考えていたのですが、夫住みたい周辺地域の価格が高騰しているために夫婦だけで住みたい家ですら見つからない状況です。数年前から地区開発が盛んなのか、少しドライブするとまた新しく家が建てられているのを見かけています。

 

現在4軒の内見に行って、住みたいなと思えるものも中にはあったのですが、どれも大幅に予算を上回っていました。買おうと思えば買えるとはいえ、今月食費はこれしかないよ…とはなりたくないと夫婦では同意済みです。

わたしがフルタイムでの定職についていればまた状況は違うのかもしれませんが、相変わらず何も仕事はしていないです。ESLクラスに行き始めて以前よりは英語力の向上には努めているものの、異国に来て仕事を探すって難しいですね。Twitterで見ている多くの人が、フルタイム・パートタイムなり、自営業であったり、学生であったり、なにかしらの努力をしているのが眩しいです。

 

 最近強く感じることは、知識と就業経験はいくらあっても無駄にはならないのだということ。友人や家族の一員としてコミュニケーションを英語で取れても、フルタイムで安定した収入の仕事をするには不十分、英語が他のアメリカ人と話せて初めて同じスタートラインに立てるのだと痛感しています。社会人経験が3ヶ月しかないのに移住したのも、安易な選択だったなと後悔先に立たず。もう移住して一年経ちましたが、これからまだまだ乗り越えることが出てきそうです。

 

ESLについては改めて記事を投稿する予定です。

お久しぶりです。

オハイオ移住からはや一年が経過しました。

こんにちは、更新していない間にもブログを読んでくださっていた方、本当にありがとうございました。ようやく時期が来たようで、更新する気持ちになったのでぽつぽつ書いたり書かなかったりとしていこうかなと思っています。

 

今日は少しだけ最近わたしがどうしてるかを書いていくつもりです。

 

そもそもオハイオでの生活がどんなものかをシェアしようという目的でブログを始めたものの、コロナのせいで外出自粛生活が始まったために人にお知らせしたいようなこともなくなってしまい放置。なにより、国際結婚をはじめとした私が関わってきていたTwitter界隈の炎上頻度に頭が痛くなり低浮上になっていたのも一因でした。なかなかインターネット、SNSとの付き合い方はほどよい距離感を見つけるのにはいつでも苦労しますね。

 

 

Coming Soon!とかいう記事を投稿していながらも全然更新をしていなかった1ヶ月半の間に、日本からオハイオ州に移住して1年記念を迎えていました。9月23日、何かお祝いをするでもなく特別なことと言えば、丸々一年被害に遭うことがなかったファームに住んでいる猫のうんこを初めて踏んだことくらいです。記念すべき一周年に猫たちからの“うん”をもらったんですかね。ちなみに私が踏まなくて済んでいた間に、旦那は3回は被害に遭っていました。くさいくさい。

もう少ししんみりしてしまうかと構えていた当日ですが、そこまで落ち込むこともなくただ時間が過ぎていくだけ、何気ない一日だったように思います。こうしてブログを書きながら振り返ってみると、あー1年長いようで短いようで、なんかごちゃごちゃだったなぁと。

 

Twitterでは、日本にいたはずの人がいつの間にか移住していたり、妊娠していた報告をこの前見たような気がしている人がもう出産して育児に奮闘していたり、自分だけ前に進めていないんじゃないかとも思うことも多い日々です。一時期は外に働きに出られないなら在宅ワークを見つけようと奮闘しかけたこともあったのに、結局は放り投げて6月までは何もせずに過ごしてました。

6月からは、徒歩30歩のお隣の9歳男の子のベビーシッター(ベビーではないものの)を3ヶ月弱して少しだけは貯金を増やし、現在はコーンメイズシーズンになったので義実家ファームにて週末わたあめを作る仕事をしてます。

 

ハンドメイドでお小遣いというか、日本への一時帰国資金を貯めようと考え、高い買い物をしたけどそれも頓挫。ブログでアドセンスも通したのに、それきりブログでどうにかお金を作るとかも行動に移すこともなく。やる気は元々ない人間とはいえ、移住して一年経つのにも関わらずこんなんじゃだめだよなぁ、と思うだけで何もしてません。

 

ここまで書いたものの、やる気がまた消えたので今日はこれにて終了。何か毎日継続するものが必要だと思い始めたのでちょくちょくまた少し書きたいことが出たら更新していきたいです。

細く長くあまり期待せずに見守っていただけたら幸いです。