2019年9月にオハイオに移住した主婦の成長日記

初めての国際線飛行機エピソード

乗り継ぎ時間は1時間47分のはずだった

今日は2017年の12月に初めて乗った国際線、帰国便でのお話しです。

 

国際恋愛をして、初めて国際線に乗るよ、乗ったよ、という人いると思います。わたしもその一人でした。

 

2歳の頃にハワイには行ったそうですが、脳みそに記憶なし。日本国内で北海道と鹿児島に飛んだのが私の記憶にある最長フライト。せいぜい3時間弱ですね。調べず書いてるので実際どのくらいかは覚えてもいませんが。

 

夫婦二人でオハイオに住んでいますが、シンシナティとデイトンの真ん中あたりです。どちらの市にも空港があって、日本から旦那さんの実家に行くには飛行機の乗り換えが必須。

デイトン空港(DAY)の方がシンシナティ空港(CVG)より少しこぢんまりしているので使いやすいな、と最近勝手に思っています。

 

2017年のクリスマスに一緒にオハイオに行こう、となったときまだ大学4年生だった私。卒論と、病院で働くことが決まっていたので念のため通信教育で医療事務資格を取ろうと必死でした。内定が出ていたことは本当にありがたかったのですが、この卒論と資格の勉強のコラボが結構な負担だったあの頃。

 

そんな話は置いておいて。

 

まだ大学4年生だったし、初めての外国、初めての彼氏の実家にお邪魔する、ということで年越しは東京に帰ってきてするのが、母からオハイオに行く許可をもらう条件でした。

12月22日かな、23日だったかな。成田空港でバカでかいスーツケースを引きずって待ち合わせでした。初めての国際線、初めての彼氏との長期旅行。というか宿泊を含めた旅行はこのクリスマスが2回目でした。

あの日の不安とわくわくどきどきに溢れた「いってきます」はいまだに覚えています。

 

初めてのオハイオ滞在はいつか紹介するとして、今日は帰国便のお話しですね。8~9日の滞在を終えて、帰りはデトロイトの空港からチケットを予約していた私。当時まだ彼氏だった旦那さんはまだあと1週間ほどオハイオで過ごすことになっていたので、空港まで送ってくれました。

 

2017年12月

あの冬を覚えていますでしょうか。アメリカに住んでいる方、縁のある方、もしくはたまたまニュースを見た方、いらしたと思います。そうです、あの寒波です。その時のニュースも載せておきますね。

www.news24.jp

低体温で座礁したサメがいたり、カナダとアメリカ国境のナイアガラの滝が完全凍結したり、今こうしてブログを書くのに調べただけで想像していた以上の寒波だったことに驚いています。

 

さて本題に入ります。記事の頭に書いた通り、乗り継ぎ時間は2時間弱あったはずだったんです。

 

 乗り継ぎ時間は1時間47分のはずだった

 

 これで飛行機飛ばなかったよ~年越しもオハイオで結局したんだよ~、っていうならあえてブログこうして書きません。キャンセルの場合、振替便の場合、みたいに有益な記事を書くと思います。

 

そうです、飛行機飛んだんですよ。1時間遅れで。この時私が使ったのはユナイテッド航空。ちょうど2017年には、ダブルブッキングで乗客を引きずりおろして動画をSNS投稿され炎上した例の航空会社です。

 

今よりもっと英語力がなかった当時、遅延している情報を英語で獲得できるほど賢くなかったんです。スマホは実家にあるWi-Fiを使えばいいよ&なんかあったらドコモの海外データローミングで金さえ積めばネット使える!!で、格安SIMの「か」の字も知りません。やることと言えば、母へのLINEと空港から運転中の彼へのメッセージ。

 

デトロイトの空港に着いたときには、それなりに雪は降っていたものの、都民の大学生、どのレベルの雪が、天候がやばいなんてわかりません。

空港の無料Wi-Fiでもう真夜中を過ぎている母にLINEをしながら飛行機の到着を待っていました。

どうしたんだろう、なんか搭乗開始時間になったんだけど飛行機まだ着いてないっぽいんだよねー。あれかな、ユナイテッド航空だからかな?

呑気なものです。しかも航空会社のせいにし始める。

 

ここから大晦日の悪夢の開幕です。

 

 

結局デトロイトから飛行機に乗り込めたのはすでに空の上にいるはずの時間帯。もうパニックですよ。貧乏ゆすりで落ち着かない気持ちをどうにかコントロール、CAさんが配ってくれたドリンクとお菓子は一瞬にしてたいらげました。

 

さてやっと乗り換えの空港が近づいてたものの、完全に到着は遅れています。この時すでに残された乗り換え時間は30分を切っていました。CAさんの案内があったけどパニックで何も耳に入ってきません。唯一聞き取れたのがどのターミナルに到着するかを、前の座席ポケットのパンフレット参照してね!という案内。

 

何ページなんていう重要な情報はパニックジャパニーズには通じません。右斜め前の人がどのパンフレットを手に取るのか必死に見て、だけど視力の足りない私には何ページを開いているのかなんて見えず。

左列通路側の席だったのですが、右側近辺の乗客を見回して親切そうな男女ペアを発見。

つたない英語で話しかけましたよ…

 

何ページをみたらいいのか教えてください…

って泣きそうな顔で。もともとハの字眉のせいもあって、ひどく困った顔をしていたんだと思います。男女お二人の私をみる視線が一瞬にして可哀想な人を見る目に変わっていました。

 

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慌てて開いて、次の乗り換える飛行機がどこからか確認。運よく同じターミナル、到着はC1。次のはC20。なんとか行ける、行けるはず。荷物はユナイテッドがどうにかしてくれる!!!

 

希望を胸に、着陸して、搭乗締め切り時刻5分前に飛行機を降りられました。

いいですか、もう一度3行前に戻って読んでみてください。

 

到着ゲートC1→次の便C20

 

確かシカゴで乗り換えだったのですが、ターミナルは左右に偶数奇数でゲートが振られています。単純に考えても飛行機10機分ですよ、みなさん。

 

何度か空港を24年生きてきて利用しました。この当時はまだ22歳でしたが、人生で初めて公衆の場で名前を呼ばれる経験をしました。今すぐユナイテッド航空のC20ゲートに来いというアナウンスです。えぇ、それ私です、今全速力で走ってますから!!!!

 

空港で名前を呼ばれている人、なんで早く搭乗ゲートに行かないんだろうな、お土産たくさん選びすぎて遅刻しちゃってるのかな、とか昔はふざけたことを考えてました。こんなこともあるんですね、今はもう理解してます。

 

嗚呼また呼ばれてる、あと3分あるでしょ、待って、トイレどうしても行きたい。飛行機間に合っても、乗り込んでこれじゃ漏らす。

ダッシュで2つ目に見つけたトイレに駆け込みました。運よく列はなかったので、マッハで用を足し、嵐のように去りました。いろんな人がすごい目で見てきたのを背中に感じてましたよ。

 

結局、飛行機には乗れました!!!㊗

無事に日本に大晦日に到着。次乗り継ぎで時間あったらまた無料Wi-Fi探してLINEするからね、と母には伝えていたのですが、そんなことは覚えてもいないし時間もなかったです。

成田まで母が迎えにきてくれる予定だったのですが、乗れたのか乗れてないのかわからないまま、夜中の3時までやきもきさせてしまいました。約12時間フライトの飛行機から降りて電話をして、初めて私が飛行機に乗れたことと帰国できたことを知れた母でした。

 

ちなみに、スーツケースは間に合わなかったです。荷物受け取りのベルトコンベア、先頭のかごにでっかいホワイトボードが乗っていて、フルネームとカウンターまでお越しくださいのメッセージでした。

荷物の紛失・盗難もなく、新年明けて2日には手元に来たと思います。

 

これを踏まえて乗り継ぎ時間を長いのにしたら安全!一番はそれが安全対策ですが、天候や入国審査の込み具合にもよるので何とも言えません…

ただ初めて国際線に乗るよ、という方は季節も考えて、必ず乗り継ぎ時間に余裕のあるチケットの予約をおすすめしておきます。